僕の家、三軒長屋の脇を通る路地を抜けたところに、上野さんというお宅があった。長屋に移り住んでから、いつもお世話になり、家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっていた。僕の父は遠い現場になると帰りは遅くなることがあり、母もスーパーのパートが長引くことがあった。そのため上野さんのおばちゃんは、留守番している僕と、妹の奈緒を心配してよく家を覗いてくれた。そして必ず温かい声をかけてくれた。『洋ちゃん、奈緒ちゃん、もうすぐお父さん、お母さん帰ってくるでね。』といい、お菓子などのおやつを置いていってくれた。我が家では、食事は一家一緒にというルールがあるが、たまに両親が仕事で遅くなりそれができないことがあった。そんな時は、上野さんが『家で食べればいいがねぇ』と上野さんの家で妹と一緒に夕食をご馳走になることがあった。本当に優しい人たちだった。上野さんのおじさんは大の釣り好きで、休みになると長良川に出かける。友(とも)釣りといわれる釣りが特に好きだった。友釣りというのは、一匹の鮎を釣り針にかけて、釣り糸を垂らす。すると、川で泳ぐ鮎が別の鮎から縄張りを守るため釣り糸めがけて攻撃してくる。そうするうちに、鮎の付いていない釣り針に引っかかり、それを釣り上げるという方法が友釣りである。冬の時期は川釣りが出来ない為、冬は春の解禁日に向けての策を練り、新しい装備を整える。よくおじさんは、おばさんに怒られていた。それは、高額な釣道具を迷いなく買ってしまうからだ。タモに15万円。釣竿に30万。おじさんは言う。『やっぱり高い道具はいい!』そのくせ、タモをよく失くす。高額商品が一瞬の油断で長良川の流れに乗ってあっというまに消えていくのであった。上野のおじさんとは釣りの話ばかりしていた。僕はとくに釣が好きではなかったが、おじさんが嬉しそうに熱く語る姿を見るのがとても楽しかった。
上野さんには一人娘がいた。名前は上野知子。ともちゃんと僕は呼んでいた。僕と同級生で、頭が良く、優しく、可愛く、音楽がとても好きな子だった。ガリ吉とよばれた僕にも優しく接してくれた。でも、怒らせるととても怖い。そのことを知っていた僕は怒らせないように気をつけていた。小さい頃ともちゃんとよく遊んだものだ。何をして遊んだかはあまり覚えていない。というよりも、小さい頃は何かがなくても、ただ走ったり駆けたりするだけで楽しかった。ともちゃんにはよく怒られた。『なんでそんなことするの!!洋ちゃんもっとしっかりしてよねぇ!!そんなところに行ったらあかんよ!!』常にともちゃんからのダメだしが発生していたのだ。でも、ともちゃんはいつも僕の事を気にかけてくれて、とっても優しい女の子だった。小学校に入ると、何故かともちゃんと同じクラスになることはなかった。だから、小学生になってからは一緒に遊ぶこともなくなっていった。
あれは、小学校5年生の秋だった。突然、ともちゃんが転校することになった。それまで、そんなそぶりや話もともちゃんからも、上野のおばちゃん、おじさんからも聞いていなかった。だから、僕はともちゃんのお別れを見送ることも、話すこともできず、どこに行くかさえも理由も分からなかった。とても寂しく、ともちゃんが転校してからは力が入らず、しばらくの間僕は抜け殻のようになっていた。
外山君、ともちゃん・・・。僕の大切な人は離れていった。それが何とも悲しく、寂しい。
ガリ吉と呼ばれて・・・。
後にともちゃんと再会することになるが、その話はまたの機会に・・・。
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