ガリ吉と呼ばれた僕にも素敵な出会いがあった。
あれは、小学1年生のことだった。同級生に外山裕一君という子がいた。彼はキンジストロフィという難病に侵され、そして戦っていた。どんなことがあっても、いつも笑顔で本当に強い子だ。キンジストロフィという病気は、筋力が時が経つほどに衰える不治の病だ。当時の彼は走ることはできず、歩くのも遅かった。しかし、彼から弱音を聞いたことは一度もない。クラスのみんなからはからかわれ、先生も彼に対して差別的な言葉を浴びせ、冷たかった。しかし、僕と彼はとても仲が良く、いつも一緒だった。
1年生の1学期の始まり、学級委員を決めることになった。立候補者がいなかった為、投票で学級委員を決めることになった。先生が、大きな壺を持ち出し言った。
「今から投票用紙を配るから、この壺の中へ廊下側の席から投票用紙を書いて入れるように!」
クラス37人が順に投票を済ませていった。
「開票します!」
僕は、静かに見ていた。先生が開票名を黒板に書き、数の分だけ正の字を引いていった。開票が後半に差し掛かった時の事だった。先生が投票用紙に書かれたある名前を見て首をかしげながら読み上げた。
「きさらぎ ようきち」
しばらく開票がストップした。無記名投票のはずなのに、先生はこんなことをクラスの生徒に尋ねた。
「きさらぎと書いたのは誰?」
すると、迷わず手を上げた子がいた。外山裕一君だった。先生は外山君に勢いよく言葉を浴びせた。
「如月にできるはずないやろ!!!」
それ以上、先生は何も言えなかった。教育者として言ってはならない事を口から発したと、微(かす)かにも良心に感じたのだろう。その後静まり、開票名だけが読み上げられた。
僕はその事があり、学級委員選挙に小学1年から6年まで、毎回立候補することとなる。その結果はすべて落選。しかし、6年間、立候補し続けられたのは、僕が外山君を誇りに思う気持ちからだった。僕と外山君はいつも一緒で相性もピッタリだった。クラスの記念撮影の写真にはいつも僕の隣に外山君がいる。外山君とは2年間同じクラスだったが、3年生の時にクラス変えがあり別のクラスになった。その後、外山君は成長する程に筋力が落ちていき、普通学級での活動が困難という理由で3年生の途中から養護学校へ転校することになった。
それから10年後。
彼と僕は再会を果たす。外山君は歩行することもできなくなっており、自宅療養していた。しかし、彼は負けていなかった。絵を習い、その3年後には個展を開くまでになっていた。強く使命に生きる彼の姿から、僕は生きる力をもらっている。そして彼のことを僕は永遠に尊敬し続ける。
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