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斎藤芳盛
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裕造と竜次は、リアカーの車輪が外れそうな勢いで、アスファルト舗装もされていないでこぼこ道を走った。勘蔵のいる場所へはもう少し。夏の猛暑の中、暑さを感じる暇もなく無心で走った。約10分間全速力で走り続け、やっとたどり着いた。息は切れ、肩で息をしていた。勘蔵の状況はさらに悪くなり、声を掛けても反応がなかった。

「おーい!山里先生をつれてきたぞー!!!」

勘蔵を見てくれていた一人が、町医者の山里先生を呼びにいってくれた。裕造、竜次が着いてまもなく山里先生が到着した。山里先生は勘蔵を診て言った。

「これは心臓発作や!脈もだいぶよわっとる。ここでは処置できんから一分でも早く病院へ連れていかんと・・・」

裕造と竜次は急いで勘蔵をリアカーに乗せ、山里先生の病院へ走った。病院に着いて、薬の投与と点滴を打ち、勘蔵の発作症状は少し治まった。しかし、意識は戻らず危険な状態は続いていた。竜次の母タイが、連絡を聞きつけ汗まみれになりながら病院に駆けつけ病室に入るなり、

「お父さん!!お父さん!!!」

と叫ぶように呼びかけた。しかし反応は無い。それから3日間もの間、意識不明の状態が続き、タイはずっと勘蔵の側を離れなかった。タイは竜次の弟2人にこの事を伝えなかった。まだ、小さい子供に余計な心配をかけたくないという気持ちからだったのだろう。弟たちには、勘蔵とタイは新種の苗を名古屋のまで買いに行ってるから、しばらくは帰らないと竜次から伝えた。タイが病院で勘蔵に付き添う間、竜次は食事や家のこと、弟の世話をした。勘蔵が倒れてから3日後、勘蔵の意識が戻った。言語に難があり、声も聞き取りずらいほどだった。その時初めて、弟たちに勘蔵に起こったことを知らせた。弟たちは近所の人から聞いていたらしく、知っていても知らぬふりをしていたようだ。親に余計な心配をかけまいとして、小さな子供たちもまた思っていた。
竜次が勘蔵の側に行き、

「親父。気分はどうや?」

と声を掛けた。すると、勘蔵は声を振り絞り、切れてしまいそうなか細い声で微笑を浮かべ言った。

「俺はもう長くないようや。お母さんを頼むぞ!」

勘蔵は力ない握力で竜次の手を握りしめた。勘蔵と竜次の手が握られた上には、竜次の涙が何滴も落ちる。弟たちも涙しながら、勘蔵の側へ行き、勘蔵と竜次の手の上から小さな手で覆った。しかし、タイは泣かなかった。3日間の看病の中で、勘蔵の状態を一番よくわかっていたのはタイだった。勘蔵の死を覚悟し、これから家族を自分が守っていくことを悟っていたのだ。これからの事を考えた時、タイは泣きたくても泣くわけにはいかなかった。
それから2日後、勘蔵35歳という若さで永眠す。

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