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斎藤芳盛
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岐阜はとても住みやすく良いところだと思う。水はきれいで、山と自然に囲まれた場所だ。父も岐阜に生まれ育った。僕の父、竜次は3人兄弟の長男として、父 勘臓、母 タイの間に生まれる。家は農家を営んでおり、少年時代は、やんちゃ坊主を絵にしたような少年だった。ケンカにあけくれ、365日、竜次の事で親が人に謝らない日が無いというくらいひどかったらしい。小学生4年生の時に、中学生3人対1人でケンカをして勝ったという武勇伝を、父から何百回と聞かされた。僕はちょっと話が大きくなってるなと思っている。

竜次、中学3年生の夏、野菜の収穫時期をむかえ竜次と勘蔵は収穫作業に汗していた。この頃は、一番農家は忙しく、知人などに手伝ってもらい収穫作業を行う。朝5時から畑に出て、二人は手慣れた手つき野菜をちぎり籠に入れていく。昼になり、竜次と勘蔵は夏のひざしを避け、木陰のなかで母タイの作ったでっかい握り飯を頬張っていた。午後からは、地域の人達が手伝いに来てくれるため、ほっと一息という安堵感があった。午後1時頃、5・6人の人達が収穫の手伝いに来てくれた。

「今年の出来はどうかね?うまく出来とる?」

と岐阜弁で声を掛けながらやってきた。

すると勘蔵は、

「今年は嵐もなかったもんで、いい出来やわ!手伝いご苦労様です」

と皆にねぎらいの言葉をかけた。

「それは良かったね~」と笑顔で皆も答えた。


午後からの作業を始めようと、勘蔵が鍬を持ち、木陰から出ようと立ち上がった時、

「うっ!うぅぅ~っ!!」

と勘蔵は苦痛な顔をして膝から腰がくだけ、前のめりになった。

「親父!!親父!!」

と竜次は必死で勘蔵を呼び続けた。しかし、意識が遠くなるように勘蔵は上半身から伏せていく。竜次は周りの人達に勘蔵を見てもらい、近くに住む勘蔵の弟、裕造の家まで泣きながら涙を振り払い走った。、裕造の家に着き、竜次は勘蔵が倒れたことを伝える。すると裕造は、

「分かった!すぐに行くでな!!」

と言い、納屋からリヤカーを引っ張りだし、上に布団を載せて竜次と押し、走った。当時、救急車の台数は少なく、井ノ口市にも2台しか配備されていなかった。その為、10キロ以上も離れたところから救急車はやってくる。道路の整備も進んでいない時代である。救急車が到着するまでに最短で約40分はかかった。そこで、裕造はリアカーで勘蔵を乗せて、近くの病院まで走ろうと考えたのだった。

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