父は、僕が3歳のときに如月工務店という会社を創設した。ちょうど妹奈緒の生まれた年だ。当時、会社の設備投資にお金がかかった上に、奈緒も生まれ如月家には貧乏虫が取り付いていた。その貧乏虫はしばらくの間、如月家に居つくことになる。如月家は、築30年の三軒長屋。六畳二間で、大きな台風や地震があればすぐに倒壊の恐れがある危険な家だった。冬はピューピューと冷たい風が吹き込み異常な程に寒く、外との温度差はほとんど無い。そんな中を小さなストーブ一つで冬を越した。夏は夏で、平屋建てであった為、直射日光により家の中はサウナ状態。当然、冷房も無く網戸からの風のみで室内の冷却を図っていた。父は、そんな貧窮した状態にもかかわらず、接待と称して夜は井ノ口市の繁華街、柳ヶ瀬の街に繰り出していた。会社の従業員やお得意先の社長などと毎日のように出かけていったのだ。そればかりでなく、時間を選ばず従業員が狭い我が家へ訪れた。父は『若い衆は安い給料で本当によく頑張ってくれとる。せめて、飯や酒くらいは振舞ってやりたい』と言っていた。ところが如月家は当時、奈緒も幼く手のかかる時期だったし、家計は真っ赤に燃える火の車。僕にとって納得のいくはずもない父の言葉だった。母は家計の為に奈緒をタイばあちゃんに預け、日中はスーパーのパートで働いた。そんな母の働いたお金も、父の豪遊に消えていった。そんな父に対して、僕の中には憎悪に近い感情が起こっていた。父が仕事から帰り食事を済ませ派手なスーツに着替えると母に言った。
「おかあちゃん。柳ヶ瀬で社長と飲みにいくから、お金ちょうだい!」
母は、ためらいもせず財布から札を出し、数枚父に渡した。信じられない光景に僕は唖然とした。その後、父は柳ヶ瀬へと直行した。それを見て、僕の怒りは爆発した。父に対してもだが、お金を渡した母に対しても・・・。僕はその気持ちをぶつけるように母に言った。
「なんでお父さんにお金を渡すの!」
「こんな貧乏生活もお父さんのせいじゃないか!!」
すると母は一言だけ言った。
「お父さんも頑張ってるんやから、私たちも応援せんとね!」
僕は、それ以上何も言えなかった。それは、一番苦労しているのは母だということを知っていたからだ。貧乏生活の中、昼間はスーパーのパートで働き、幼い妹と僕を育てながらも、父さんの会社従業員に対しても嫌な顔一つしないで食事を振舞い、夜遅くの訪問にも心よく迎えた。全てにおいて母に勝る人はいなかったのだ。
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